『瘤取り』の隣の爺さんはなぜ不幸に?才能不足でも指導者に恵まれれば…
才なき犀のごとく彷徨(うろつ)いてきた
モト教師、サイ之助です。
今、何で食っているかというと
ネットビジネス特に情報販売なんですが、
それはさておき、本日は
『こぶとり爺さん』のお話から始めます。
聞いたことがない…という人はいませんよね?
日本育ちの人であれば;^^💦
でもなんだかストーリーがうやむやだという人も
おられるかもしれませんので、
まずは子供向けの動画で
あらすじをおさらいしておきましょう。
👹 隣の爺さんは別に悪くない
さて、どう思いました?
私がこの昔話を持ち出したのは、
後半の主役になる「隣の爺さん」について
考えて直してみてほしかったから。
不幸にして瘤を増やしてしまうこの人は、
上の動画でも「いじわる爺さん」と
呼ばれているとおり、子供向けの絵本などでは
「もともと悪い人」というキャラクターを
押し付けられていることが多いですよね。
でも、原話では、べつに「悪い」と
きめつけられていたわけではなく、
事の成り行きとしてそうなった、
ああ、面白い…
というだけの話。
この人が悪者にされたのは、昔話を
道徳教育に利用しようとする明治以降の
ヤボな教育者たちによる変形なんですよ。
👹 性格の悲劇
この鬱陶しい道徳教育色を取っ払い、
原点に立ち返ってこの昔話を近代小説に
仕立て直してくれたのが太宰治。
東京大空襲のさなか、防空壕の中で5歳の
娘に絵本を読み聞かせながら創り上げた
再話小説の連作『お伽草紙』(1945)の
一篇が「瘤取り」です。
(新潮文庫 )
太宰版「瘤取り」でも、二人目のお爺さんが
「こぶ二つ」という気の毒な結果になる
ことは同じです。
でもこの人はもともと悪くもないし、
鬼に対してもなんら害悪をなした
わけではありません。
ただ、一人目のお爺さんは「酒飲み」で、
酒宴に興じる鬼たちとシンクロして
踊りだしてその踊りが鬼たちに大ウケ
したのに対し()、
二人目のお爺さんはどう踊っても
ウケなかった()、
というだけの話なのです。
この結果を受けて、太宰はこのように
物語を結びます。
つまり、この物語には所謂(いわゆる)
「不正」の事件は、一つも無かったのに、
それでも不幸な人が出てしまったのである。
それゆえ、この瘤取り物語から、
日常倫理の教訓を抽出しようとすると、たいへんややこしい事になって来るのである。
それではいったい、何のつもりで
お前はこの物語を書いたのだ、
と短気な読者が、もし私に詰寄って
質問したなら、私はそれに対して
こうでも答えて置くより他はなかろう。
性格の悲劇というものです。
人間生活の底には、いつも、
この問題が流れています。
うーむ、さすが太宰、ではないですか?
「性格の悲劇」…。
「性格」の何割かは生まれつきで
決まっています。
その部分だけは、どうにも
変えられないんです(/_;)/~~。
前回お話しした「サソリとカエルの話」を
思いだしてくださった読者もいらっしゃる
かもしれません。 👇
サソリが結局、逆らえず、自分の命まで
失わせることになった自分の「nature」。
その訳語は、基本的には「自然」ですが、
この場合は「本性(ほんせい/ほんしょう)」とも
「性(さが)」とも訳してかまわないでしょう。
👹 ネットビジネスに必要な性格は?
さて、私はいったい何が言いたいのか?
一人目の爺さんも隣の爺さんも、特に
エンターテインメント──歌や踊りやお笑い──
の心得があったわけではありませんね。
たまたま鬼の宴会という場面に遭遇して、
自分も楽しくなって、出て行って
心から楽しく踊ってしまった爺さんと、
それを必死に真似ようとしながら
(おそらく緊張のせいで)踊りはカチコチ、
鬼たちをすっかりシラケさせてしまった
隣の爺さん。
この物語は太宰も言うとおり、「性格/nature」
の悲劇を見事に表現したものであって、
決して勧善懲悪の訓話などではないのです。
だから、何が言いたいのか?
つまり、今、あなたはひょっとして
「隣の爺さん」の方に感情移入を 始めている
のではありませんか?
周囲を楽しませ、集団的・組織的な仕事に
うまく乗っていく才能に欠けるし、
もともとそういう「性格/nature」ではない…
と。
だから、私がオススメしている
ネットビジネスへの転身なんてことも、
「性格/nature」的に、また才能の面で
むずかしく、結局、失敗に終わるのではないか…
と。
でも、これが大丈夫なんです!
この世界でも「性格/nature」が問題に
ならないことはありませんが、それは
『瘤取り』の場合とはまったく別の方面での
性格。
それは何かと言いますと、師匠(メンター)の
言うことを100%信じて実践していく、
ある種の素直さということになるでしょう。
👹 「信」じる「者」こそ「儲」かる?
さて、ここからは 「儲ける」話。
まずこの「儲」という漢字の成り立ちをご存じですか?
儲=信+者
おわかりですか?
すなわち 信じる者こそが儲かる
のです。
ええ~、ちがうだろ~()
とおっしゃるかもしれません。
はい、漢字の形成としてはこれは正しくありません。
正しくは、
儲=人+諸
「諸」はこの場合「もろもろの持ち合わせ、
蓄えがある」という意味。
そういう「諸」をしっかり持つようになることが
「儲ける」ことだとも、またそもそも
持っている人だからこそ「儲かる」のだ…
とも理解できます。
で、学問的にはこちらが正解なのですが、
上記の「信じる者こそが儲かる」というのも、
実は結構、真理を衝いている…
というのがネットビジネスの世界なんです。
要は、「儲ける」仕組みづくりについて
教えてくれる人 ──この世界での
諸(知識の持ち合わせ、蓄え)のある師匠――
すなわちメンターを信じること。
100%素直に信じることです。
一点でも疑いのくもりがあって、
99%しか信じられないのだとすると、
あなたの心理には不安がきざし、
仕事の効率も落ちるために、
失敗に終わる可能性も高くなります。
逆に言えば、100%信じることが成功の近道
なのです。
このことをさらに裏返していえば、
100%素直に信じることのできる
メンターを見つけることほど
重要なことはない…
ということになります。
なにしろこの世界には限りなく詐欺に近い商法で
ノウハウコレクターを食い物にしている
業者もうじゃうじゃ生息しているようですから。
では、そのような詐欺に近い悪質な業者と
成果に向けて着実に指導してくれる誠実な
メンターとをどう見極めるのか?
それが大きな課題になってきますよね。
そこに運が絡んでくることも事実でしょうが、
私の場合はノウハウコレクターとしての
何年かの彷徨の末に、幸運にも現在の師匠
(メンター)に出会い、成果をのばすことが
できました。
その経緯についてはこちらで。👇
👹 まとめ
ともかく信じることはむずかしくありません。
素直ささえあればいいんですから。
信じましょう。
自分の可能性と、信頼すると決めた師匠
(メンター)の言うことを。
信じきれないと、実践の速度が落ち、
速度が落ちると、どうでもいいことに関して
目がいってしまって、さらに速度が落ち、
しまいには所期の目的を忘れてしまうかもしれません。
いったん夢(=目的地)を設定したからには、
そこへ向けて一点集中、スピード感を持って
取り組んでいくこと。
その方が結局、得をすることになるのです。
さあ、思い切ってやってやりましょう。
「まだ運命は変えられる」のです!