これが僕の自然(nature)なんだ…『サソリとカエルの話』で自分を取り戻せ!

 

なきのごとく彷徨(うろつ)いてきた

モト教師、サイ之助です。

 

今、何で食っているかというと

 

ネットビジネス特に情報販売なんですが、

 

それはさておき、本日は

『サソリとカエルの話』の話から。

 

 

ん? 聞いたことがない?

 

それではお教えしましょう。

 

『サソリとカエルの話』とは

こんなお話です。

(知ってた人もおさらいのため、
読んでやってくださいね;^^💦)

🐸 ぼくを背中に乗せてって


「やあカエルくん、
この川を渡るのかい?」

「ああ、サソリくんか。
そうだよ、向こう岸に用が
あるんでね。
それが何か?」

「ちょうどよかった。
ぼくも向こうに用があるんだ。
ひとつ背中に乗せてって
くれないかな?」

    サソリ seiza08_sasori

「ええー?! やだよ。
途中でその毒針を刺して、
ぼくを食べるつもりだろう」

「まさかー! ぼくは
泳げないんだぜ。
きみが沈めば、ぼくも
沈んで死ぬしかない。
刺すなんて、できるわけ
ないじゃん」

「ああ、そうか。
そういえば、そうだよね」

  カエル

こうして気のいいカエルは
サソリを背に乗せて
スイスイと泳ぎ始めます。

川の中程まで来たところで、
カエルの背中に突然、
激痛が走ります。

「痛!!」

たちまち体はしびれて手足は動かず、
カエルはぶくぶくと沈み始めます。

「な、な(ぶくぶく)なぜなんだい。
き(ぶくぶく)、きみも死ぬのに
(ぶくぶく)……」

「す(ぶくぶく)すまない(ぶくぶく)
カエルくん。こ(ぶくぶく)これが
ぼくの自然(nature)なんだ
(ぶくぶく)……」

 

🐸 命を取られる…

やや落語的に訳してみましたが、

これ実は、ベトナム戦争時代に

ベトナム人の子どもの間で
発生したといわれている、

寓話ともとれる物語です。

いろんなところで使われて、

かなり広く知られるようになりました。


たとえば石ノ森章太郎のマンガ
サイボーグ009
   👇

サイボーグ009(1)



それからイギリス映画『クライング・
ゲーム』(The Crying Game, 1992)
   👇




特にこの『クライング・ゲーム』、
ニール・ジョーダン監督、

ティーヴン・レイ、

フォレスト・ウィテカー共演で、
スリルとサスペンスに満ち、

どんでん返しもあり、かつ大いに

考えさせられる傑作!

そのサワリをこちらの動画でご覧ください。
縛られたウィテカーがレイにこの話を
語りかける名場面です。

 

🐸 いくつかの解釈

さて、囚われの黒人(フォレスト・ウィテカー)

の話す『サソリとカエルの話』

どう思いました?

自分も沈んでいきながら、

「仕方ないんだ。

これがぼくの自然(It’s my nature)

だから」と答えますが、そのあたり

しっかり聴き取ってもらえたでしょうか?


   サソリ・カエルdrowning_scorpion_and_frog_tat_by_cazantyl
   

 

オッと、いけない。

 

英語教師時代の癖が出てしまいましたが、

英語は別に聴き取れなくても結構です;^^💦

 

ともかくこの「nature」は「自然」の

訳でわかりにくければ、「性(さが)」でも

「本性(ほんせい/ほんしょう)」でも

かまわないでしょう。

 

 

 

ともかく「なぜそんな話をするのか」と

問われたウィテカーは、にっこりして

「あんたは"kind"(親切/やさしい)という

自分のnatureに逆らえないからだ」と

答えていましたね。

 

「わからんぞ」と相手が言うとおり、

この先どうなるかは映画を見ての

お楽しみ…

 

ということになりますが、

ともかくこの寓話、なかなか鋭く、

人間の深いところを刺して(痛!!)

いるのではないでしょうか❓



    



🐸 自然に復讐(かたき)を取られて…

ところで「nature」の訳語は「性(さが)」

でも「本性(ほんせい/ほんしょう)」でもいい

と言いながら、私自身は直訳調の「自然」で

通しました。

 

その方がいいと思う大きな理由は

これが、夏目漱石の小説によく出てくる

「自然」という言葉の意味・ニュアンスに

通じる部分が大きいように思えることです。

 

たとえば『それから』という小説で、
主人公の代助は、三年前に「義侠心」から
親友と結婚させてしまった女性を
奪い返します。

非常にアブナイ、社会的には
「罪を犯した」も同じ行為

(当時あった姦通罪に問われます)

なんですが、その自分につて

自然に復讐(かたき)を取られた」

という言い方を繰り返しています。

👉詳しくはこちらをご参照ください。

rhinoos.xyz

 

 


代助が三年前に「義侠心」で恋人を譲って
しまったのは、サソリがカエルの背に
乗ってしまったのと同じで、結局は
自然に復讐(かたき)を取られる
ことになります。

すくなくとも、この小説をとおして
漱石はそう説いているように読めますね。


もちろん、そこは個人の意見に
すぎませんから、いろんな考え方が
あってかまいません。


たとえば宮沢賢治なら、そのような
意味での自然を完全否定したところにこそ

理想を見ているのかもしれませんよね。

銀河鉄道の夜』にも「さそりの話」が
出て来ますが、このサソリなんか、
小動物を捕食するという彼の自然否定し、

そのような罪深い自分を焼き尽くしてしまいたい

という悲しい理想に燃えているわけですから。


詳しくはこちらを。👇

rhinoos.xyz


      戯画鉄道027266

 

 

🐸 自分の"自然"を見極めて生きよう

 さて、どうお考えですか?

 私としては、自分の経験からしても、

もし『それから』の代助のように「義侠心」で

恋人を譲るというような不=自然をあえてすれば、

結局は必ず自然に復讐(かたき)を取られる

ことになると、本気で思っています。

 

銀河鉄道の夜』のサソリの考えなんかは論外。

 

これは聖人の思考であって、並の人間が

本気で考えるようなことではありません。

 

 

 

なにが言いたいかと言えば、要するに

「自分の自然(nature)をよく見極めて

生きていくのがよい」ということ。

 

とりわけ、就職とか結婚とか、人生の岐路に

おいて、これは極めて重要なポイントに

なってくると思うんです。

 

 

ん? もうすでに失敗している?

 

だからこそアンタのブログを読んでるんだ?

 

 

アハハ、そうでしょうね;^^💦

 

でも、まだ遅くない!

 

やり直しはきくんです。

50すぎても、60すぎても…

 

 

私の場合は、若き日に(周囲の期待に

沿う形で選んでしまった)教師という職業が

自分のnature(自然)に適合していないこと、

本当にやりたいことは別にあることに

中年になってから決定的に気づいてしまいました。

 

その後、一念発起して退職し、

本当にやりたいことのための態勢づくりのために

ネットビジネスを始めたのです。

 

🐸 "自然の夢"を阻止するもの

 で、今、思うのは、もちろん

「決断してよかった」ということ。

 

 

つまり本当にやりたいこと(=目的地)として

設定し、その目的地へ向けて一定の目算・計画を

もって新しい仕事を始めたのです。

 

で、あなたもそれに挑戦しようとする場合、

それが反対に遭うことは目に見えています。

 

 

親がまだ元気なら親、妻(or夫)がいれば、

当然、その妻(or夫)が止めにかかることでしょう。

 

いやまた場合によっては、本人自身が

「やっぱ、やめとこ…」と止めにかかる

かもしれません。

 

これら、自分の一部をも含めて、

夢(ドリーム)を止めにかかる

こういう存在のことをドリーム・キラー

呼ぶことがあります。

 

そして、このドリーム・キラーにも2種類あって、 

一つはなるキラー。

 

もう一つがなるキラーです。

 

とはもちろん自分自身

 で、自分自身の中にも色んな敵がいますが、

その中でも特に厄介なのが疑いというやつ。

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疑い、懐疑はもちろん学問の出発点であり、

この原点を忘れるべきではないのですが、

いったんという目的地を設定し、

そこへ導いてくれるはずの指導者(メンター)に

ついたならば、疑いは百害あって

一利ないものになります。

 

そう、メンターの言うことを100%信じきって、

疑いをはさまずやり抜くことが重要なのです。

 

こんなことやってて、本当に稼げるように

なるのかなあ❔…

という中途半端な心理でやっていると

仕事がはかどらず、モノになるはずの

ところがモノにならないまま終わる…

という例も多々あるのです。

 

 つまり疑問を抱けば、どうしても

一度立ち止まり、一種の壁を作って

しまうことになるから。

 

ブレーキがかかってしまうからなんです。

 

🐸 夢殺し(ドリーム・キラー)対処法

 2種類目のドリーム・キラー

 つまり、自分以外から夢を否定されたり、

批判されたりすること。

   

「危ないからやめなよ」

「そんなのお前には無理だよ」

「今の時代、厳しいから諦めな」

 

こういう助言は多くの場合、

あなたのためを思う善意によるもので、

あなたとしても、それがわかるだけに

無下に退けられなくなってしまうのですが、

これはどうしたって、退けなければ

お話になりません。

 

を叶えるためには。


だから、ここを乗り切る便法は

ドリーム・キラーとはなるべく話さないこと

 

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適当にあしらっておいて、わが道を行くこと。

 

信じる人の言葉にだけ耳を傾け、

実践していけばよいのです。

   

結論。

夢を叶えるまでは不要な要素は全て断つ。

これが一つの理想で、それが実際上、

不可能でも、可能な限り接近していく

べきなんです。 

🐸 まとめ

 いかがでしたか?

 ドリームキラーには内・外の2種類がありますが、

どちらも対処の仕方としては気にしないこと。

  

気にしたら、それだけブレーキを

踏むことになり速度が落ちていきます。

 

速度が落ちると、どうでもいいことに関して

目がいってしまって、さらに速度が落ち、

しまいには所期の目的を忘れてしまうかもしれません。

 

いったん(=目的地)を設定したからには、

そこへ向けて一点集中、スピード感を持って

取り組んでいくこと

 

その方が結局、得をすることになるのです。

 

 

さあ、思い切ってやってやりましょう。

まだ運命は変えられる」のです!