自分の人生を取り戻せ!映画より濃い小説『ファイト・クラブ』

 

なきのごとく彷徨(うろつ)いてきた

モト教師、サイ之助です。

 

今、何で食っているかというと

 

ネットビジネス特に情報販売なんですが、

 

それはさておき、本日はブラッド・ピット主演で

カルト的人気のアメリカ映画『ファイト・クラブ

(1999)とその原作、チャック・パラニューク

同名小説(1999)の話から((((((ノ👺)ノ

 

 

映画より小説の方がわかりやすい 

まずどんな話なのかという概要を
知るために、映画の予告編を
ご覧ください。  👇 


これだけではわかりにくいかもしれませんが、

要は、エリート・サラリーマンだった

三十男が、謎めいた同年配の男タイラー

(ブラピ)に引き寄せられ、喧嘩ファイトで

初めて生きる喜びを知るというのが前半。

 

後半は、2人で作った「ファイト・クラブ」が

タイラーの主導でテロ集団と化してしまい、

2001年の9.11同時多発テロを予告する

ような暴動へと突っ走り、主人公はこれを

止めようとしても止まらず、社会的地位なんかは

もちろんメチャクチャになっていきます。

 

映画の方はサブリミナル画像の挿入という

特異な技法でも有名になり…

 

 

その一部は男性器丸出し(👺)だったりして、

日本版(劇場・DVDとも)とも修正が加えられて

完全版が見られないという状態が長く続いた

というイワクつきです。

 

で、結局、何が言いたいのかとか、ラストで

自分の頭部を撃ってるのになぜ死なないのかとか、

いろいろと””の多い映画でもありました。

 

そのへん、実はパラニュークの原作を読んで

いただいた方が、ずっとわかりやすいんですよ。

 

"殻"を破り、自分の人生を取り戻せ

小説の方では、主人公はわりあい早くから

こう意識しています。

タイラー・ダーデンはぼくが
創り出した別人格で、そいつは
いま、ぼくの現実の人生を
完全に乗っ取ろうとしている。

そして、父との関わりが薄かった主人公と

タイラーをはじめとして、

 

ファイト・クラブ

集まるのは女に育てられた世代の男たちだ

 

ということになっています。

映画でも序盤の主人公は
IKEAのカタログ」を持ってトイレに
入りますが、この場面、小説では
「営巣本能の奴隷と成り下がった」

男の例証として出てくるので、
その意味は映画よりずっと読み取り
やすくなっています。

     

つまり主として女親に育てられ、いつか
(女性主体の)周囲の期待する男の型へと
自分を流し込むようにして作られてきた

男が主人公の「ぼく」なのです。

「自己破壊」の語も頻出するこの小説は、

そういう「ぼく」(自己)の殻を打ち
破ろうとするあがきの表現が映画より

ずっと明快に打ち出されています。

ファイト・クラブで幅をきかすように

なった男がこう怒鳴ります。

ファイト・クラブでは、
おまえは銀行預金の額ではない。

仕事ではない。

家族ではない。  


「家族」や「仕事」や「銀行預金の額」は
周囲の期待に応える形でおまえが作って
来た”殻”であって、おまえ自身ではない。

そんなもの、打ち破れ!

映画を高く評価する人の多くも、やはり
こういう部分にグッと来ているわけですが、
小説ではそこがもっと挑戦的に(あるいは

反社会的に)打ち出されているのですね。

「自分の人生を取り戻せ」という文庫の
帯文に反応して、こうツイート

している人もいます。

 

また、海外に目をやれば、英語圏

映画ファンのための巨大サイト

IMDb☆10個をつけているレビューは

こう叫んでいます。

これは誰もが自分の自由に対して
下ろしている錠(ロック)を破壊する

ことについての映画だ。

  

 

子供から大人へと育っていく過程で、

いつか知らず、周囲(主として親ですが)の

期待に応える形で作ってきてしまった「自分」。

 

それなりにいい学校を出て、いい職場で

仕事し、それなりに銀行預金も貯まって

いるのかもしれない。

 

でもそれらは、"殻"を割った芯のところにある

「本当の自分」がホントーに望んだこと

だったのか❓

 

この意味での「本当の自分」に目覚め、

周囲に合わせてきた外側の"殻"を

破ってしまえ!

 

それがこの小説で、映画よりずっと多く

唱えられる「自己破壊」ということなのです。

 

👉 小説の内容について、より詳しくは

こちらをご参照ください。

rhinoos.xyz

         

 

 

"殻"を破らせないドリーム・キラーたち

さて、どう思いました?

 

 

ここまで読んでくれた人なら、きっとどこか

身につまされる部分があったのではないでしょうか。

 

私の場合は、いつの間にか教師になって

いましたが、これが本当にオレの

やりたかったことなのか…

 

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つまるところ親の期待に応えた結果に

すぎないんじゃないか…

 

という疑問にけっこう早くからぶつかり、

ついに早期退職という形で「自己破壊」を

果たしました。

 

もちろん無茶苦茶にカオスに突入した

わけではなく、本当にやりたいこと、

つまりは(ドリーム)を明確な目的地として設定し、

一定の目算・計画をもって新しい仕事を始めたのです。

 

で、もちろんそれは反対に遭います。

親がまだ元気なら親、妻(or夫)がいれば、

当然、その妻(or夫)が止めにかかることでしょう。

 

いやまた場合によっては、本人自身が

「やっぱ、やめとこ…」と止めにかかる

かもしれません。

 

これら、自分の一部をも含めて、

夢(ドリーム)を止めにかかる存在のことを、

ドリーム・キラーと呼ぶことがあります。

 

内と外、2つのキラー

で、すでにふれていますが、

ドリーム・キラー

大きく2種類に分けられます。

 

つまりなるキラーと

なるキラーとです。

 

とはもちろん自分自身

 で、自分自身の中にも色んな敵がいますが、

その中でも特に厄介なのが疑いというやつ。

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疑い、懐疑はもちろん学問の出発点であり、

この原点を忘れるべきではないのですが、

いったんという目的地を設定し、

そこへ導いてくれるはずの指導者(メンター)に

ついたならば、疑いは百害あって

一利ないものになります。

 

そう、メンターの言うことを100%信じきって、

疑いをはさまずやり抜くことが重要なのです。

 

こんなことやってて、本当に稼げるように

なるのかなあ❔…

という中途半端な心理でやっていると

仕事がはかどらず、モノになるはずの

ところがモノにならないまま終わる…

という例も多々あるのです。

 

 

つまり疑問を抱けば、どうしても

一度立ち止まり、一種の壁を作って

しまうことになるから。

 

ブレーキがかかってしまうからなんです。

 

 

善意のキラーは適当にあしらえ

 

2種類目のドリーム・キラーです。

 

つまり、自分以外から夢を否定されたり、

批判されたりすること。

  

 

「危ないからやめなよ」

「そんなのお前には無理だよ」

「今の時代、厳しいから諦めな」

  

 

こういう助言は多くの場合、

あなたのためを思う善意によるもので、

あなたとしても、それがわかるだけに

無下に退けられなくなってしまうのですが、

これはどうしたって、退けなければ

お話になりません。

 

を叶えるためには。


だから、ここを乗り切る便法は

ドリーム・キラーとはなるべく話さないこと

 

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適当にあしらっておいて、わが道を行くこと。

 

 

 

信じる人の言葉にだけ耳を傾け、

実践していけばよいのです。

 

 

  

結論。

夢を叶えるまでは不要な要素は全て断つ。

これが一つの理想で、それが実際上、

不可能でも、可能な限り接近していく

べきなんです。 

 

最後に

 

いかがでしたか?

 

ドリームキラーには

2種類いるとお話ししましたが、

どちらも対処の仕方としては

気にしないこと。

 

これに尽きます。

  

気にしたら、それだけブレーキを

踏むことになり速度が落ちていきます。

 

速度が落ちると、どうでもいいことに関して

目がいってしまって、さらに速度が落ち、

しまいには所期の目的を忘れてしまうかもしれません。

 

 

いったん(=目的地)を設定したからには、

そこへ向けて一点集中、スピード感を持って

取り組んでいくこと

 

その方が結局、得をすることになるのです。

 

 

さあ、思い切ってやってやりましょう。

まだ運命は変えられる」のです!